「ストレス」について

以下の文章は、以前「ペット倶楽部」という月間フリーペーパーに執筆したものです。

● ストレスとは?

 「現代はストレス社会だ」などという台詞をよく耳にします。「ストレス」という言葉を聞かない日がないくらい、この言葉は日常的なものとなっています。あらゆる病気が「ストレス」によって起こるとされ、まるで「悪者」の代表のように忌み嫌われているのが現状のようですが、では「ストレス」とは一体どのようなものを指すのでしょうか?
 実は「ストレス」の定義は様々で、医学的に定まったものは無く、極めて抽象的な曖昧な言葉なのです。もともと「ストレス」という言葉は工学用語で、「金属に対して加えられた外力によって生じた歪みを元に戻そうとする応力」のことを言います。そしてこの「工学用語」を医学の分野で初めて使用したのが、カナダの病理学者のハンス・セリエ(1935年)です。セリエの「ストレス学説」によると、「ストレス」とは「外界からの侵襲に対して生体が適応する際の生体メカニズム」のことだそうです。そしてこの「ストレス」を引き起こす要因となる外的侵襲のことを「ストレス要因」、または「ストレッサー」と呼んだのです。
 ここで「あれ?」と思われた方もいることでしょう。そうです。本来「ストレス」というのは「外的侵襲により引き起こされる歪み」に対する「適応メカニズム」のことであって、「歪み」そのものを指す言葉でないのです。従って、例えば「仕事での人間関係が上手くいかない」とか「恋愛のことで悩みがある」とか、「超多忙で心身が疲れる」とか、これらは全て「ストレッサー」であり、これらの刺激に対して体が「頑張ろう」とする適応反応を「ストレス」と呼ぶということになります。そして、「ストレッサー」による侵襲が、この適応反応の守備範囲を越えた場合に、頭痛や胃痛や、その他様々な症状を現して、「体を休めなさい」という警告を発するのだと考えられます。
 ですから、「ストレスが溜まる」というような言い回しは、本来正しくないということになります。「ストレスの無い生活」というのはつまり、「適応反応を欠いた生活」ということであり、これでは生体が「生きて行く」ことができなくなります。
 しかし、このように揚げ足を取ってばかりいても仕方がありません。日常的には、本来「ストレッサー」と呼ばれるべき外的侵襲や、これにより引き起こされる「歪み」そのものを「ストレス」と呼んでいるのが現状です。話がややこしくなってもいけませんので、ここではひとまず、現在一般的に使用されている語法、つまり「有害な外的侵襲」としての「ストレス」という言葉を採用し、以下のお話を進めることにしましょう。

● ペットにストレスが溜まるとどうなるのか?

 ストレスが溜まる、つまり正確に言えば「ストレッサーによる刺激を受け続ける」ということですが、これは一体どのような変化を体にもたらすのでしょうか?
 前出のセリエは、ストレスに対する生体適応反応により引き起こされる体の変化を「適応症候群」と名付け、さらにそれを「局所適応症候群」と「一般適応症候群」の2つに分類しました。そして「一般適応症候群」は更に3段階に分けられています。
 細かく説明するとちょっと難しいのですが、簡単に言うと…
 外的侵襲を受けると生体はまず、軽いショック状態となり、次いでこれに適応する為に血圧や体温を上げたり、副腎皮質ホルモンを分泌したりするようになります(第一期:警告反応期)。そして暫くは、この緊張状態が継続します(第二期:抵抗期)。よく「仕事が忙しいと気が張って風邪をひかない」などと言うことがありますが、この状態です。そしてこれを放っておくと、急激に抵抗力が低下して、体が悲鳴をあげ始める(第三期:疲憊期)、ということです。
 人間の場合は、ストレスを引き起こす「ストレス要因」を、物理的要因、心的要因などに分類しています。犬や猫にとっては、生活環境の変化というのは非常に大きな「心的ストレス要因」となります。具体的には、引越し、家族構成の変化(結婚、出産など)、新しいペットの飼育、旅行に連れていく、ペットホテルに預ける、近所の騒音、家族(飼い主)の心理的変化やストレス状態、などが挙げられます。またお正月などに「親戚の子供達におもちゃのようにして触られる」などというのも、よくあるストレス要因です。
 そしてこれらのストレス要因により様々な症状が引き起こされますが、特に犬で頻繁に見られる症状としては、下痢や血便、嘔吐などの消化器症状でしょう。また大型犬に多いと言われる「胃捻転・胃拡張症候群」も、ストレスにより引き起こされる傾向があります。また猫では、嘔吐や涎をダラダラ垂らすなどの消化器症状、血尿、膀胱炎などの泌尿器の疾患が発生することがよくあります。その他、抵抗力が低下することにより、肝臓病や各種の感染症、糖尿病などの内分泌疾患、腫瘍性疾患を引き起こす可能性があると考えられます。

● ストレスをためない為にはどうすればいいのか?

 「ストレスは有害なもの」と仮定してここまでお話して来ました。しかし、本当にそうでしょうか?野生動物の場合、例えばライオンなどの肉食動物が獲物を見つけたとき、それを捕まえるために体が「狩の準備」をします。つまり、心拍数と血圧が上昇し、筋肉が緊張し、血糖値も上がるのですが、これが「ストレス」と呼ばれる状態の本来の姿です。獲物となったシマウマの方にも同様な反応が現れます。これはつまり、逃げる為に必要な「準備」です。このような「ストレス」は、動物が生きる為に必要なものです。
 ストレスが全く無い状態とは、どのようなものでしょうか?人間で行われたある心理実験では、被験者が80〜90時間、音も光も無い「無ストレス状態」に置かれると、ストレッサーに対する抵抗性を失って、色々な外的刺激に対して無力になってしまったそうです。また、産まれたばかりの赤ん坊を「無ストレス状態」で育てた実験(13世紀のお話です。酷い実験もあったものです。)では、赤ん坊全員が死亡してしまったそうです。
 このように、ストレスは人間や動物が生きていく上で、ある程度必要なものであると言うことが出来ます。例えば盲導犬や介助犬が街で仕事をしている状態、しつけ教室などで訓練を受けているときの犬の状態は、軽いストレスを受けていると考えられます。徐々に慣らされた場合には、このような軽度のストレスが問題になることは殆どありません。しかし、過度なストレスは生体に有害な反応を起すことがあります。「ストレスを溜めない」とは、言い換えれば「過度なストレスによる有害反応を防ぐ」ということです。では、そのためにはどのようなことに注意すれば良いのでしょう?
 神経質で臆病な性格の動物は、必要以上のストレスを感じるようになってしまいます。来客の際に吠える犬は、チャイムが鳴るたびに毎回ストレスを受けているのです。また爪切りや耳掃除が大嫌いな犬は、家や病院でこれらの行為をする度に大騒ぎとなり、自身も多大なストレスを受けることになります。犬にとって特に有害となるストレスの主な共通点は「恐怖」や「不安」です。「恐怖」や「不安」を避けるには、その原因となるような行為を「しないこと」が原則ですが、しかし来客や留守番、病院での治療行為など、人と共に生活する上で必要な事柄も少なくありません。従って、これらの行為に対して必要以上の恐怖感や不安感を抱くことが無いように、小さな頃から順応させるような「しつけ」をすることが重要と言えるでしょう。あまりに病的な場合には、専門家による行動療法が必要な場合もあります。
 猫の場合は、なるべく複数で飼育しないことが重要です。猫は本来、単独で生活する動物なので、複数で飼育する場合には必ず、それぞれの縄張りを尊重してあげること、できれば別々の部屋で飼うこと、食餌の場所やトイレは必ず別々にすること(お互いの顔が見えないようにすること)が大切です。特に、相性の悪い猫同士を一緒に飼っているような場合、猫にとっては非常に大きなストレスを受けることになりますから、家に新しい猫を導入するような場合には細心の注意が必要です。


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